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イノビエンナーレから大阪関西国際芸術祭まで!プロジェクトプランナー笹貫さんインタビュー

nanairo
インタビューについて

今回、インタビューを受けた人は笹貫淳子さん。大阪出身で2023年に大阪から移住。芸術系企画のプロジェクトプランナーとした多岐に渡る仕事におこなっている。

笹貫さんにお仕事のことや移住のことについてじっくりお話をお聞きし、インタビューにまとめている。

また、インタビューは、加田地区にある老人の憩いの家でおこなっている。

笹貫さんのこと

- インタビューよろしくお願いします。それではまず自己紹介をお願いします。

笹貫さん:
大阪府からいの町に移住しました。先に夫が2021年夏に移住して私は二拠点生活で大阪と高知を行ったり来たりしながら生活していました。2023年5月からは私も高知ベースで生活をしていて、月に一回程度大阪に仕事で行っている、という形ですね。それがベーシックなライフスタイルです。

- 現在は何をされていますか?

笹貫さん:
仕事はフリーランスですが、やってる範囲が広くて肩書きがうまく名乗れないんですけど、、、大まかにいうと①芸術系のコーディネートをしたり、②芸術祭やアートフェアの実行委員会として動いたり、仲間と一緒に③アートイベントを主催したり、④1年に5〜6本はアートキュレーターとして大阪や京都でアーティストの個展とか企画展などをさせていただいています。あとは、⑤ブランディングのコンサルタントとしてブランドの見せ方などをコーディネートさせていただいています。

アートキュレーター:展覧会を開催する際にどのように展覧会を作り上げていくか取捨選択をしながら考える人。作品からコンセプトから表現の仕方、価格決定などの骨組みを作る人。

- 本当多岐に渡ってお仕事されているんですね。

笹貫さん:
そうですね。なので最近は芸術系の「プロジェクトプランナー」と名乗るようにしています。

- 一つずつ聞かせてください。①芸術系のコーディネートとはどんなことですか?個展の運営とかですか?

笹貫さん:
どういう企画をするかを考えたりとか、こういう企画のこの部分は誰に頼もうかとか。予算のつきかたによってケースバイケースですが、実践的なことをやってほしいとか1からやる場合とか色々ありますね。裏方の仕事です。

例えば、個展・展覧会などに関していえば、テーマや方向性、メインビジュアルの選定、作品点数や価格帯、展示レイアウトなどをアーティストの方と併走しながら決める、進行管理全般です。

UNKNOWN ASIA

- アート関係に携われているお仕事がほとんどですが、そのきっかけはなんだったのですか?

笹貫さん:
独立する前の会社員時代はファッション関係の商社にいました。企画や商品開発などの部門にいて海外のクリエーターやデザイナーたちと関わる仕事をしていました。海外の展覧会で色んな商材を発掘したり、それをどう日本に持ち込みブランディングはどうしていくか考えたり、みたいな仕事を20年以上していました。

また、その仕事の中でジュエリーの仕事を担当していて、デザイナーの発掘で年3回計10年間ニューヨークに行っていました。

そういった生活を通じて英語を話すことができるようになりました。また、彼らが(ジュエリーデザイナー)が何を欲しているのか、何がしたいのか、自分の作品をどう扱われたいのか、こだわりを大事にしないといけないなと思っていたんですね。

そんな会社員時代を過ごしていたある日、大阪にあるFMラジオ「FM802」のアート部門とご縁があってFM802が主催している「アンノウンアジア」という国際アートフェアの運営チームに入りました。

「英語もちゃんとしなあかんから笹貫さん手伝って欲しい」と言われてそのプロジェクトに携わったのがファッション業界からアートの世界に関わるきっかけです。

私は英語を話すことができるので、海外アーティストや審査員とのコミュニケーションや公式サイトの英語版を手伝ったりだとかをしました。

当時FM802の看板DJだったアメリカ人のカマサミ・コングさんから「ジュンコさんが入ってホームページの英語がめちゃ良くなった」と褒めてもらいました(笑)

FM802の看板DJ カマサミ・コングさんと

- なるほど。会社員時代ということですよね。忙しそうですね。

笹貫さん:
そうですね。当時はめちゃくちゃ忙しかったです。ただ、私自身が「UNKNOWN ASIA」に関わったのは2017年からで、フリーランスになったのと同時期だったかな。そこからアート系の仕事が増えてきて、独立しました。

- なるほど。そこからは大阪を拠点としてアートのお仕事をされていると。

笹貫さん:
そうですね。自分からは営業していないんですけど、声をかけていただいたり、だとか紹介だとか。

大きい仕事をしているわけではないんですけど、信頼できる方といい仕事をしてるって感じです。

Study:大阪関西国際芸術祭

- そうなんですね。さっきおっしゃっていた大阪の芸術祭の実行委員会について教えてください。

笹貫さん:
去年開催された「Study:大阪関西国際芸術祭」というんですけど、これは実行委員というよりはプロジェクトマネージャーとして全ての進行管理を見るという、大変な仕事でした。

- 色んな部門の進捗状況とか、調整とかそういった感じですか?

笹貫さん:
そうですね。この芸術祭は文化庁の事業委託を受けている大阪の会社がプロデュースをしているのですが、全体でいうとキュレーターだけで15人ぐらいいて、20近い芸樹祭ブログラムがあって、参加するアーティストさんも200人を超えていて、あとカンファレンスや関連イベントがあったりとにかく規模がめちゃくちゃ大きくて。

12月開催だったので、11月12月はほぼ大阪にいました。私は全部のプロジェクト管理をしていたので大変でした。

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- そうなんですね。大阪国際芸術祭に深く関わられている方が、ここ高知県のいの町に住まわれていることに驚きです。

ubisum by ubies ユビサム・バイ・ユビエス

- 他にどんなことに関わっていたのか教えてください。

笹貫さん:
これも「UNKNOWN ASIA」で知り合ったプロデューサーが、オンラインで越境のアートコンペをやりたい、ということで事務局長として手伝いました。

アジアの各国にその国を代表するクリエイティブディレクターを置いて、その彼らが推薦したアーティストたちに作品何点か投稿してもらってファン投票をして、得票数が高い人はグランプリに選ばれる、という図式のトーナメントでした。

- なるほど。笹貫さんの仕事は多岐に渡っているのですね。

笹貫さん:
平たく言うと、文化芸術の企画をやってます、みたいな感じです。

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ARTGOESON

- なるほど、わかりやすいです。他にも「ARTGOESON」というプロジェクトを立ち上げたとのことですが、これはどのようなものですか?

笹貫さん:
「ARTGOESON」というのは、私が2022年4月のコロナ発生でのステイホーム時に2人の仲間と立ち上げました。

ステイホームになった途端にクリエイティブ関係の仕事ってほとんどが延期か中止だったんですよ。

SNSを見ていると「これからどうなるんだろう」とか「アートなんて今求められていないんだな」などの投稿ばかりだったんですよね。これってあまり良くないよな、と思って。

今までイラストレーターさん、デザイナーさん、アーティストさんと仕事をさせていただいていて、そんな彼らのモチベーションを上げることって何かな、と考えた時にできたプロジェクトです。

Instagramにアカウントを作って、そこに「#artgoeson」というハッシュタグをつけて投稿してもらう、というアウトプットの場を作りました。

ARTGOESON 2022会場風景

段々と賛同してくれる大阪のギャラリーさんが増えてきて、「せっかくだし企画展をしよう!」ということになり、2022年大阪港にある「CASO」という建物を一棟貸ししてもらって国内外200名からアーティストに参加してもらって作品提供などをしてもらい、3日間のアートフェスティバルを開催しました。

ARTGOESON 2022 担当エリアの設営風景(右側)
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- 様々な企画を開催しているのですね。

メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア

- 他にも何かされていたりするのですか?

笹貫さん:
大阪西区に「京町堀」というエリアがあるんですけど、そこはクリエイターが集まるエリアなんですよ。

京町堀って一本の道なんですけど、その道沿いにギャラリーや事務所やカフェがあったりするんですけど、その街の一角を使ったアートウォークみたいな、街づくり的なものをやろうか、ってなって。

それが、「メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア」です。

- メタセコイアって樹木のメタセコイアですか?

笹貫さん:
はい、その地区にあるシンボルツリーです。空高く突き抜ける真っ直ぐな大木をアーティストの姿に重ねました。このアートフェアは公募で、全国473組の応募がありました。ただ、私が高知拠点となり、街づくり的な運営が難しくなったので2023年の開催を持って終了しました。

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現在の活動

- 現在の活動はどうでしょう?

笹貫さん:
高知でアーティストや企画をしている人たちの出会いが増え5月には高知市内で仲間とアートイベントを開催し盛況しました。

6月には須崎市で竹工芸家の個展に協力させてもらったり、7月と8月はそれぞれ海外アーティストの高知公演の運営にも関わらせてもらっています。また、いの町で開催されている「イノビエンナーレ」というアートプロジェクト運営に入りました。ちなみに、審査員もします。他には関西万博関西の「大阪関西国際芸術祭2025」の運営にも関わっています。

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移住を考え始めたきっかけについて

- 移住を考え始めたきっかけについて教えてください。

笹貫さん:
私の仕事はその場にずっといなくてもできる仕事なんですね。インターネットの環境さえととのっていれば、メールやチャット、データの受け渡しなどのやり取りができます。

大阪に住み続けていたとしても大阪に限定された仕事はしていないんですよね。「大阪の何かに属している」というわけではないから、通信さえ整っていればどこにでもいけるんです。

じゃあなぜ「いの町に来たか」という話なんですけど、大阪で仲良くしていた方が15年ほど前に高知県に移住したんです。その方がいの町にある生姜農家の刈谷農園さんと繋がりがあって。その繋がりで毎年10月にある生姜の収穫手伝いに行っていたんですよ。その頃から夫は高知に住みたい、という夢を持っていました。

刈谷農園の生姜収穫風景

そういった流れがある中で、ここに移住を決めた一番のきっかけは「コロナ」です。コロナの時って全部止まったじゃないですか。仕事も止まったり、スーパー行くのも入場規制がかかってたり、皆どうしたら良いかわからない状態で大変だったじゃないですか。スーパーにやっと入っても冷凍の野菜はあるけど、生野菜はあんまりなかったりして。当時は普段食べないレトルト食品も食べました。

「食べ物がない」ということが怖いなと思いました。今までは都会に住んでるからなんでもあると思っていたし、手を伸ばせばなんでも手に入ると思っていましたが、実は都会にいることはすごく弱いことなんじゃないか、と思ったんです。

そんな中、高知県に住んでいる人の話を聞いていると、マスクはしているけど厳戒態勢じゃなくて普通の生活をそんなに変わらないよ、と言っていました。畑があるので食べ物もあまり困っていないとのことで野菜を送ってもらったりもしていました。

「足元に食べ物がないこと」がいかにか細いことかが分かって。今まで「都会第一主義」だったのに、都会というものがすごく脆くて弱いものに見えたんですね。

目先を変えれば、住むところが変わったとしても命が取られる話でもないし、逆に新しいことに体験できるだとか、それは自分の人生にとってご褒美だと思ったんですね。そういったこともあり移住を決めました。

移住に関すること①

- 移住を思い始めてから移住するまでの期間はどれくらいですか?

笹貫さん:
最終的に落ち着くまでに1年ぐらいかかりましたね。夫も最初は友達のお家でお世話になったり、あとはいの町がやってる移住者のための「お試し移住」で住んだりとかもやってて、それをやりながら「空き家バンク」で家を探してって感じですね。

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- 移住するまでに悩みはありましたか?

笹貫さん:特になかったですね。

- 移住するまでに考えたほうが良いことや準備したほうがいいことはありますか?

笹貫さん:
特にないですけど、郷に入れば郷に従え、で柔軟な気持ちですかね。こうでないといけないとか、あんまりそういうのはなく、フラットにいけば良いのかな、と思います。

- 実際に移住してみてどうでしたか?

笹貫さん:
困ったこもなくて基本的には居心地が良いですね。移住して良かったことは「住んでる地域での人との交流が増えた」ことです。家に行ったり来たりという意味ではなく道で会ったら立ち話をする、庭の塀越しに話すだとか。あとは、野菜の物々交換みたいなのがあるのが良いな、と思います。大阪にいると隣近所の人なんて全くわかりませんでしたから。

- 移住して大変だったことや驚いたことはありますか?

笹貫さん:
土佐弁が時々わからないことはありますね。あとは虫が近いなと思います。慣れてきましたけど大阪では見たことないような蜘蛛がいたり(笑)自然をすごく近くに感じますね。良くも悪くも(笑)

- 畑も借りているのですよね?何か育てています?

笹貫さん:
そうですね。トライアンドエラーなんですけど、ニンジン、ダイコン、カブ、ブロッコリー、エダマメを今までやっていて。今は、季節の野菜を育てています。

- 移住前から畑をしようと思っていたのですか?

笹貫さん:
思っていなかったし、そういう風に土を触ったことはなかったんですよ。米ヌカを土に混ぜて苗やタネを植えて、あと籾殻を入れてしています。

- 移住前と比べて生活費はどうですか?

笹貫さん:
格段に下がったと思います。

移住に関すること②

- 移住したからこそ食べられるものってありますか?

笹貫さん:
それはやっぱり、美味しいカツオが安く食べられることですね。タタキだとサンシャインの鮮魚コーナーも美味しいし、あとは宮本鮮魚店ですね。

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あと、お野菜や果物が美味しいですね。

- 地域のことでの困り事とかありますか?

笹貫さん:
地域のことで困ったら、私が住んでいる加田地区も「組」と呼ばれるグループがあって、内容にもよりますが、暮らしの相談とかで教えてもらいたいことがあったら地域の組長さんに相談するのが一番良いかなと思います。

- 加田地域には地域の仕事はありますか?

笹貫さん:
ありますよ。神社の仕事(星神社)とか掃除とか草刈りとか。夫と私のどちらかは出るようにしています。

- 地域に馴染むために気をつけていることはありますか?

笹貫さん:
挨拶ですね。

いの町について

神谷地域加田地区の住宅と畑

- いの町の好きなところや魅力を教えてください。

笹貫さん:
近くに川があるのは良いなと思います。仁淀川が家からも近くて夏暑い時とか仕事の合間に浸かりに行きます。あとは人がすごく良い

いの町と言っても広いとは思いますけど、神谷とか加田というのは土地が開けていて結構おおらかな人が多いかなと思います。

面白い人もたくさん住んでいてそういった方たちと出会える、ご縁があるのは面白いなと思います。そんな思いでスタートしたのが「いのストーリー」という小さなメディアです。トップ画像は自分のiPhoneで撮ったのですが、この七色会のホムページ画像と同じ場所、同じアングルでびっくりしました(笑)

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- 移住者の方って多いんですか?

笹貫さん:
多いですよ。自由学校関係の方とか多いですね。

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- いの町の良くないところや不便なところありますか?

笹貫さん:
いの町、便利ですからね。立地良いですからね。市内が近いのと病院もあるし、無印良品も新しくできたし(笑)

良くないところ、、あるかなぁ。うーん。本屋さんがないところかな。まぁ図書館はありますけどね。

まぁでも都会の暮らしをそのまま適用するというのはあまり考えてなくて。不便なところは不便なままで良いんですよね。欲を言えばキリがないですから。

だから不便とはそこまで思っていませんね。

- いの町に住む人はどのような人が合いそうですか?

笹貫さん:
気持ち的にオープンな人じゃないですかね。オープンというか心が広い人。あと、山登りや川遊び、自転車などのアウトドアのアクティビティが好きな人にすごく良いんじゃないかなと思います。

- いの町に住むにあたってどんな仕事がありますか?という質問ですが、笹貫さんのようにフリーランスで仕事をされている人目線から見るとどうでしょうか?

笹貫さん:
通信環境が整っている地域だと全国から人が集まると思います。徳島県の神山町って典型的なモデルなんですね。そこは過疎地域と呼ばれる場所ですが、インフラ整備を整えたことで、今全国からクリエイターたちが集まってちょっとしたシリコンバレーのようになっています。

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それで新しく神山高専って新しい学校もできたみたいで。すごいですよ。なのでいの町も頑張って欲しいです。

もちろんいの町にいれば、いの町ならではの仕事もたくさんあると思います。

- いの町や周辺で何か魅力的な場所あったりしますか?

笹貫さん:
朝倉(高知市)や土佐市が好きですね、それは行く機会が多いからなんですけど。朝倉は文化的な雰囲気が好きです。土佐市もたまたま行くことがあるんですけど、運転しやすいし(笑)

運転免許もここにくるからとったんですよ。

こっちにきて不便だなと感じることが増えて、一念発起してとりました。

- 運転免許取得していなかったんですね。でもたしかに大都市に住んでいると必要ないですよね。

笹貫さん:
移住するってなって合宿でとりました。大阪にいた頃は身分証明書代わりに免許持っているって人も多いですけどね。私は今まで車のない生活で困ったことなかったので持っていなかったです。

今は車の運転は楽しいですね。行きたいところもいっぱいありますね。

おわりに

- 笹貫さんの今後の目標を教えてください。

笹貫さん:
あまり、大きな夢、みたいなものではないんですけど、高知で暮らすこの生活を日々大事にしていきたいなと思います。

大阪でいるときは時間に追われていたので。働くことがメインで、それに色んな時間を合わせていました。ご飯を食べる時間も遅かったし。

だから、私たち家族にとって健康的で居心地の良い暮らしを目指したいですね。猫も大阪から高知に引っ越しして1年が経ち、今ではすっかりここの暮らしに慣れたようです(笑)

猫はマイペースです

- この記事を読んでいる人へ一言お願いします。

笹貫さん:
移住ってそんなに覚悟しなくてもできると思うんですよね。別に今までのものを置いて、移住する、というよりも、この土地が良いな、とかこの感じが良いなとか、「良いな」と感じるものがあれば一回思い切って飛び込んでみるのが良いと思います。そして今まで自分がやってきたことも引き続きできるようなやり方を考えてみる。自分を劇的に変えなくても、自分らしさはそのままに住むところを変えるようなそんな感じで良いかなと思います。

- ありがとうございました。

編集後記

インタビューでは、笹貫さんのお仕事について移住についての二面からお話を聞かせていただいた。笹貫さんは様々な人を巻き込みながら大きなものから小さなものまで様々な企画・コンテンツを考え生み出す方で、まさしく「クリエイティブな方だな」と感じた。そんな笹貫さんが最後におっしゃっていたことは移住に限らず、どんな局面でも大切な考え方だなぁと感じた。ぜひ移住を検討している方は、思い切って飛び込んでみてほしい。

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