世界を旅したホーミー・馬頭琴奏者!日本全国でコンサートをしている岡林さんインタビュー
今回のインタビューは岡林立哉さん。愛知県名古屋市出身で高知県には移住して今年で13年目。現在はいの町鹿敷に住んでいる。馬頭琴(モンゴルを代表する楽器)・ホーミー(モンゴルの伝統的な歌唱法)奏者で全国各地でコンサートを行なっている。
また、お話を伺っていくと、若い頃には日本はじめ世界中を旅したり住んだりして、現在は仁淀川国際水切り大会の実行委員長で、また池川神楽保存会にも所属し神楽を舞ったりしている、とのことだった。
岡林さんにご自身ことやお仕事のこと、移住のことについてじっくりお話をお聞きし、インタビューにまとめている。
旅のこと音楽のこと
- インタビューよろしくお願いします。まずは岡林さんのことを聞かせてください。自己紹介をお願いします。
岡林さん:
出身は名古屋で生まれ育って、高校卒業で1年浪人したんですけど、19までは名古屋で育ってます。それから大学は静岡大学で5年いって中退しました。
- どんなことを専攻されていたのですか?
岡林さん:
文系の社会学科という学科で日本史(近現代史)を専攻していました。でも勉強はあまりせず、そこから就職せずに自分でやれることを探そうと旅をしながらその先々で働いたりしてました。
- 名古屋でですか?
岡林さん:
静岡を出て、バイクを乗って日本中をぐるっとキャンプしながらですね。農業のバイトしたり、土建屋とか漁業のバイトしたりほんと色んなことをしながら日本全国回ってました。その時は23、24ぐらいの時ですかね。ほぼ1年間そんな感じで旅していましたね。沖縄から北海道まで行きました。高知は来ていないんですけどね(笑)
- そうなんですね。そこからはどうされたんですか?
岡林さん:
そうですね。詳しくいうと、昔から音楽がずっと好きで、ギターを弾いたり、ハーモニカを吹いたり、沖縄で三線を弾いたり、自分で歌歌ったり、歌を作ったりとかしていました。高校の時はバンド組んで学園祭で歌ったりとかで、そういう感じでずーっと音楽をしていたんですけど、職業で「音楽のプロでくっていく」みたいなイメージはあまり湧いてなくて。
で、旅で沖縄に行ったときに、大学の近現代史を専攻をしていたってのもあって「第二次世界大戦に向けて日本がどのように戦争に向かっていったか」とか「沖縄戦」とかそういった切り口で色々な場所を訪ねたりとかをしていました。
そのときはたまたま、普天間基地問題で基地を受け入れるか受け入れないかで名護市が割れていてその是非を問う市長選の真っ只中でした。
そのとき尋ねた宿が移設反対の拠点にもなっている宿だったので話を聞いたり、内地から来たジャーナリストについて行き、沖縄の人の戦争の話を聞かせてもらったりして、色々と感じることがありました。
戦争がすごく身近にあるような体験をそこで初めてしましたね。
そんな時にその雰囲気に抗うわけじゃないけど、音楽ってギクシャクしている場を和ませるみたいなのがあると思っていて、よく歌っていたんですね。
その選挙は負けちゃったんだけど、選挙が終わった時に「こんな結果になっちゃったけど岡林くんがずっと歌ってくれて救われたね」って言ってくれて。やっぱり音楽は素敵なことだし大事なことだし、やっぱり僕はこれから音楽に関係する仕事に就きたいな、と思ったのが今ミュージシャンでいる原点かなと思っています。
- そうなんですね。そのときはギターですか?
岡林さん:
そのときはギターで自分で歌を作ってしていました。ただ、歌を作って歌って、その歌をずーっと歌っていけるほどのいい歌ってなかなかできなくて。繰り返し歌っていると陳腐に思えてきたりもして。
- そうなんですね。難しいものなんですね。
岡林さん:
はい。でどんな音楽ができるかなぁと思っている時に、僕は旅が好きで昔からモンゴルに行ってみたかったから、その日本中を旅した半年後にモンゴルに行きました。
モンゴルでのホーミーや馬頭琴との出会い
- なぜモンゴルに行ったのですか?
岡林さん:
一番は「星」かな。星が好きでオーストラリアとか、モンゴルとか星のキレイなところで星を見たい、というのが最初のきっかけですね。
- やっぱり星キレイですか?
岡林さん:
キレイですね〜。大陸の真ん中で空気が乾燥しているので。モンゴルは町から離れると広大な草原がどこまでも続いている、というような景色が広がっています。
そこで「ホーミー」というモンゴルの伝統的な歌を聞いたんですね。その歌を聴いた時に自分の人生の中で一番感動しました。
音楽って歌詞で人を感動させたり、メロディとか、ビートとか曲の良さであったりとか色んな要素で人は感動すると思うんですけど、そういうのではなくて、本当に音色(ねいろ)っていうんですかね。音そのものの力。別に意味とか言葉も全然わからないけど、「響き」というか。それだけで感動というか、すごい体験でした。音楽ってこういう表現もあるんだ、と驚きました。
この音を手に入れたい!と思って、それでホーミーと馬頭琴を始めました。25歳の時ですね。
- 「ホーミー」というのはそこでたまたま出会ったということですか?
岡林さん:
存在は知っていたんですよ。音楽が好きだから沖縄に行ったら三線をやったりだとかモンゴルだと馬頭琴という楽器があってっていう、知ってはいたんだけど生で聴いたのはその時初めてで。
- 「ホーミー」というのが「馬頭琴」というものを使ったものということですか?
岡林さん:
「馬頭琴」は楽器で、「ホーミー」は歌唱法ですね。歌ですね。
- なるほど。そこからがアーティストとしての始まりってことですか?
岡林さん:
そうですね。そこで3年ほど日本とモンゴルを行き来して勉強しました。勉強というと真面目にコツコツとやるような感じですけど、そうではなくて好きでずーっと歌って練習して馬頭琴を弾いてって感じですね。
- そこから高知に移住することになった経緯もとても気になりますね。またあとで聞かせてください。
現在は何をされていますか?
- 現在は何をされていますか?
岡林さん:
ちょうど昨日帰ってきたんですけど、日本全国でホーミー・馬頭琴奏者としてコンサートしながら回って、こっちに戻ってきたら田んぼや畑をやってっていう感じです。高知でコンサートすることもあるんですけどね。月の半分はいの町にはいませんね。
- 忙しいですね。日本全国はどのようにいくんですか?
岡林さん:
場所によってですね。九州だったら岡山まで出て新幹線とか。名古屋や東京は飛行機、関西だったら高速バスですね。
趣味はありますか?
- 趣味はありますか?
岡林さん:
趣味は野菜育てたり田んぼやったりですね。
- 田んぼとかって難しいんじゃないですか?
岡林さん:
それが面白くて。自然が大好きだから、植物を育てて観察してどういう状態でいてどうしたらもっと育つのかなとか、病気になるとしたら何が原因でどうやったら治るかとか。そういうのを調べてうまくいったりすると、「なるほどこうやってやればいいんだ」みたいな自分で実験をしていくんですけどそれが楽しいです。
田んぼも難しく考えると難しいのかもしれないけど、でも結局植物って「水」と「お日さま」の力があれば育つんですよね。
- なるほど。苗を買ってきて植えるみたいな感じですか?
岡林さん:
苗は買わずに育ててます。種籾から苗を育ててそれを植えてですね。来週収穫する予定ですけど天気が悪いのでどうしようかそれが今の悩みですね。
- 最高の趣味ですね。しかも目の前が仁淀川ですし。
岡林さん:
そうですね。川でもちろん泳いだり、カヌーをしたり、最高の場所に引っ越してきました。
ハマっていることはありますか?
- ハマっていることはありますか?
岡林さん:
野菜を育てたり、田んぼをしたりですね。あと僕水切りもやっていまして、水切り大会の主催をしているんですよね。「仁淀川お宝探偵団」っていう団体に入っていて、、、
- 水切り大会!? そういえばテレビで見たことあります!
岡林さん:
そうですね。「四国ともたび」や「相席食堂」とかに出演しました。
- すごいですね。水切りやっぱり得意なんですか?
岡林さん:
得意だったんですが、今はレベルがすごい上がっちゃって、水切りは今はガチでやっている人が全国で結構でてきて、そういう人たちが水切り大会に来るんですよ。
- そうなんですか。なんという大会ですか?
岡林さん:
仁淀川国際水切り大会ですね。
仁淀川国際水切り大会実行委員長
- どれぐらいの頻度で大会はおこなっていますか?
岡林さん:
年に一度開催しています。
- やはり全国からくる出場者はみんなすごいんですか?
岡林さん:
すごいですね。全国でも本気でやっている人が4、5名いるんですけど、その人たちは40回以上水切りしますし、週末水切り用の石を探しに山に行ったりとか合宿したりしていますね。
- なぜ水切り大会をしようと思ったのですか?
岡林さん:
水切り大会自体は僕が関わる前からやっていたんです。僕がこっちにきて13年なんですけど、水切り大会は20年。今年で21回目を10月13日波川公園で開催します。(取材時9月下旬。今年も開催された。)
仁淀川を思いっきり遊び倒すアクティビティを1日かけてやるっていうのを20年前にやっていて、その中でも特に水切りが誰でもできる、ということで翌年から水切り大会が始まりました。
老若男女、誰でも石ころがあればできるので仁淀川にはもってこいじゃないですか。
- やはり腕の筋肉があればうまかったりするんですか?
岡林さん:
いやー技術なんで、筋肉なくても練習すればかなりできると思います。もちろん最終的に筋肉があって初速をつけて投げれる人は強いでしょうけど、やはり「技術」と「石」ですね。
最初は、「面白い大会があるなー」と思って出場したんですよね。そしたら結構レベル高くて、僕もあれぐらいできるかなぁと思って、翌年結構練習してまた出場したんですね。ベスト8ぐらいまで残りました。
そこで負けたんですけど、それが勝ったような負けたような微妙な判定で。大会の人も「いやー岡林くん惜しかったねー今のが事実上決勝戦だったよねー」って言ってくれて。悔しかったですけどそんな悔しい思いって大人になるとなかなかしないじゃないですか。水切り大会でそこまで悔しがってる自分がまた面白くて。
それを見ていた大会を運営していた人たちから大会の運営を手伝ってほしいと言われてその翌年から大会の運営に関わるようになりました。
そうこうしているうちに大会の実行委員長をしていた方が亡くなられて、その後を引き継ぐ形で実行委員長をすることになりました。
- いちプレイヤーから実行委員長になったんですね。
岡林さん:
そうですね。2015年から実行委員長をしてるんでもう10年近いですね。
- 一番強い人はやっぱり高知の人なんですか?
岡林さん:
いや、栃木出身の人がいるんですけど。水切り大会って世界にいくつもあるんですよ。そこでも大会に出場して優勝している人がいますね。でも、最近は大阪府からくるお兄ちゃんも強くて、今年はその2人が決勝戦を戦うことになるんじゃないかな。
- 水切り大会とても面白いですね。
岡林さん:
水切り面白いですよ〜!
モンゴルに行き始めてから高知に移住するまで
- 先ほどの話に戻ります。モンゴルに行き始めて馬頭琴やホーミーに出会ってから高知に移住するまでの話を教えてください。
岡林さん:
モンゴルに行き始めてからもずっと旅を続けていました。シベリア鉄道からヨーロッパに行って2年ぐらい演奏しながら暮らしていました。
ヨーロッパの方が音楽の市場が広いので音楽で生きて行きやすいですし、音楽が日常世界に入り込んでるからやりやすいなぁとは演奏していて感じていました。
ヨーロッパに永住しても良いかなぁと思っていたんですけど色々思うことがあって帰国しました。
- この時はもうモンゴルのホーミーや馬頭琴で歌っていたんですか?
岡林さん:
そうですね。この頃には自分なりにこんな風に弾きたいなぁというのが大分できあがってきて、演奏しているうちに今の自分のスタイルが確立されました。
でも、そんな中で日本に帰りたいなという思いもちょっとあって日本に帰国して、それからずっと今みたいに日本全国を旅しながらコンサートをしてまわって、という暮らしが始まりました。
- そうなんですね。その後に高知に来たんですか?
岡林さん:
その時に出会った妻と結婚して、その時は東京にいたんだけど、やっぱり東京は息苦しくて、関西でコンサートもあまりしていなかったので関西に移住どうかな?と相談したら京都が良いなということで京都に移住しました。
- 京都に行ったんですか!?
岡林さん:
そうですね。京都の伏見に5年住んでいました。
- 同じようにコンサートしながらということですよね。
岡林さん:
やっぱり行ったことあるところはご縁ができてライブできる場所もどんどん広がって行ったりするんですけど、あまり行っていないところってなかなか縁ってできないじゃないですか。
で、関西は少なかったんで「関西に打って出よう!」ということで関西に行ったんですね。今はその時に出会った色んな人とも演奏しています。
関西に拠点を移したら九州にも出やすいしすごく便利でした。
京都は良いところだなっと思うんですけど、僕的には京都はちょっと暑くて寒くて(笑)
もうちょっと住みやすいところが良いな、と思ってしかもその時二人の子どもの子育てもしてたんでやっぱりもう少し広々とした自然の中で子育てしたいなと思ったんですね。
そしてまた移住先を探し始めたんですけど、その時までたまたま高知県だけ行ったことなかったんですよ。
- 他の都道府県は全て行ってたけど高知だけなかったんですか?
岡林さん:
そうなんですよ。当時演奏したことない県は2、3あったんですけどほぼ全国旅としては行っていてでも高知にだけは踏み入れたことがなくて。
徳島と香川でライブが終わった後に家族と合流して高知旅行に行くことになりました。
それが2010年で4泊5日ぐらいで旅をしたんですね。高知市内と黒潮町を旅行しました。
その時にすごく高知の印象が良かったのと食べ物も美味しいし、気候も調べるとそこまで暑くも寒くもないし川も綺麗し、人もなんかのんびりしてるし、街をいく人の表情が切羽詰まってないというか、あぁ良いな〜と思って。
で、半年後ぐらいに「高知に移住しない?」「いいよ!」みたいな流れですね。
- 高知旅行が移住のきっかけということですか?
岡林さん:
そうですね。高知旅行にきてから約1年後には移住しました。
- それまでに高知にはきたんですか?
岡林さん:
一回家を探しに、いの町や日高村をバイクで来ましたね。でもバイクで回るだけじゃなかなか良い家は見つからなくて。高知市内で家を借りてそこから家を探そうということで、まずは高知市内のアパートに引っ越しました。
高知市内に1年住んでその間に仁淀川沿いで良い家がないか探しました。
たまたま神谷地域の家が見つかってそこに5年住んで、その後に今の家に引っ越して6、7年目ですね。
- ちなみになんですけど、ここから違う場所に行きたいとかはないですか?
岡林さん:
今はないですね。もちろんもっと良いところがあれば移っても良いですけど、この家に結構愛着があるのと、あと、この集落の人頼りにしてくれているというか。自分たちがやっていることを応援しくれる人たちがいるので。ここでもっと恩返しをすること、やりがいがあること、そういうことがいっぱいあるから、それをやっていきたいという気持ちはすごくありますね。
移住して大変だったこと驚いたこと
- 移住して大変だったことはありますか?
岡林さん:
僕らは子どもと一緒に移住したので、子どもがきっかけで地元の方との関係づくりはできたのでその点では大変ではなかったですけど、もし大人一人で移住してくるとなると周りとの関係づくりがなかなか大変だとは思います。
- 移住して驚いたことはありますか?
岡林さん:
空気がキレイだなというのはやはり思いますね。大掃除した時にずっと乗ってなかった自転車のサドルも汚れてない!みたいな。あとは国道を車で走っていたらイノシシと並走したことも驚きました。サルもいますね。それと空気がキレイなので星がキレイなことですね。
- 地域に馴染むために何かされていますか?
岡林さん:
馴染むためにというほどではないですけど、地域の行事があればできるだけ参加しますね。あとは神社のお祭りなども一緒にやると良いと思います。お祭り自体も面白いですし。外で田んぼをやり始めてから結構声かけてもらったりも多くなりましたね。外でなんかやってると地域の人がみるじゃないですか。それをみてるから向こうも僕らのことを分かる、みたいな。外で働く時間って良いと思います。
地域について
- ここは何地域になりますか?
岡林さん:
ここはいの町鹿敷ですね。
- なぜ山田や佐川町など色々見た上でいの町に移住を決めたのですか?
岡林さん:
その頃には水切り大会もやっていたので「仁淀川」というものに惚れ込んで、高知に来て1年目には「仁淀川良いなぁ」「住みたいなぁ」ってなってて。
あとは例えば、県外でのコンサートから高知に帰ってきて、そこから四万十とかはやっぱり距離的にいけないですよね。
高知に着いた時に「ほっと帰ってきた」というぐらいの距離感が良かったんですよね。なのでここにしました。
- 車で10分ぐらいですか。市内から。
岡林さん:
そうですね。高知駅だと30分ぐらいでつきますね。
- いの町に移住してみてどうでしたか?
岡林さん:
何不自由なく過ごせてますね。高知に帰ってきた時の空気の澄んだ感じというか、やはり空気が違いますよね。それを高知にずっといると感じないかもしれないけれど、僕は常に出て帰ってきたりしているから、ほんと空気の違いはすごいです。
- 移住前にしておいた方が良いことはありますか?
岡林さん:
お金を貯める。ことだと思います。だけど最近は移住に関する補助金も多いのでそういうのを活用しても良いかもしれません。
- どういう人がこの地域に合いますか?
岡林さん:
そうですね。都会にいると、大勢の中にいるのでそこまで一生懸命に生きなくてもなんとなく生きていけるじゃないですか。
でも都会にいると自分はなんのために生きているんだろう、とか自分の存在意義とかを見失うような僕はそんな気がするんですけど。
こういう地域に移住してくると「やらなきゃいけないこと」っていっぱいあるんですよ。そういうものに労力を惜しまずやっていく、ということは大変な反面、やっていくとほんとにありがたがってくれたりだとかそれってやっぱり必要とされているというか。
自分が行ったからこそ地域がより良くなる、というのが実感できると思います。それってとても素晴らしいことだと思います。
人肌脱いでやるぞ!というそういう気概の人がくると合うのかなと思います。
- この地域の魅力って何かありますか?
岡林さん:
そうですね。色々ありますけどこの地域ではジビエを食べたり狩猟とかもできますね。イノシシってほんと美味しいんだなって思いますね。そういう「獲る」というところからして魅力かなと思いますね。
- ここは移住して2つ目の家とおっしゃっていましたが、引っ越ししたきっかけは何かあるんですか?
岡林さん:
1つ目に借りていた家は家主さんの長男の方が帰ってくることになったので出ることになりました。今まで出会った人たちに声をかけたりして色々紹介してもらって3ヶ月で見つけて引っ越しました。
- このあたりで住んでいるからこそ食べられるものってありますか?
岡林さん:
ここら辺というか、仁淀川の流域というので言うと天然の鰻とか、ツガニとか鮎とかですかね。川の幸ですね。今度イベントもしますね。「神楽と鮎と酒に酔う」っていう。
- あ、神楽も舞うイベントですよね。
岡林さん:
そうですね。僕は池川神楽の保存会に入っているんですよ。
- そうなんですか!?池川ってたしか仁淀川町ですよね。
岡林さん:
そうですね。ここから30分くらいです。ちょうど明日も行くのですが、月に1、2回は練習に通っています。
- 舞っているんですか?
岡林さん:
そうですね。神楽好きですね。
- 仁淀川国際水切り大会の実行委員長から池川神楽の保存会まで色んなことされていますね。
仕事について
岡林さん:
僕は会社員勤めはしてなくて、収支っていうのは自分で考えるんですよね。支出がこれだけだったらそれを上回る収入じゃないといけないだとか。結局頭使って収入はこれだけしかないのだったらこれを諦めるか、全部そういうのを頭で考えることが大切だと思います。
自分には何ができるか周りを見てどこがお金に変えることができるのかというのは、今まで各分野で培ってきた色んな人の色んな目で見たら結構この地域はあるような気がするんです。
例えばここ(鹿敷)の中では稼げなくても、ここで作ったものを外で売るとか、ネットで販売するとか、アイデアがあれば、そんな簡単じゃないものかもしれないけれど
少なくともかかるお金は、例えば家賃だって安いじゃないですか。なんならお米も体力があれば自給できるし。
この地域にはポテンシャルはまだまだあると思うんですよね。
おわりに
- 今後の目標教えてください。
岡林さん:
一年を通して田んぼや畑を計画的に管理して常に何かが収穫できる、ってなったら最高ですね。
そうやってキレイな畑ができれば良いですね。
- この記事を読んでいる方に一言お願いします。
岡林さん:
現代の一般的な暮らしって自分の時間を売ってお金を対価で得て、それで便利なものとか楽しいものを得るっていう暮らしだと思うんですけど。
こっちにせっかくくるんだったら、お金に変えられない素晴らしいものがたくさん転がっているのでそういうのを自分の知恵や手間をかけてたくさん見つけていって欲しいなと思います。
それができたらそれが一番の幸せというかそういう宝物がたくさんある場所だと思います。
- ありがとうございました。
インタビューでは、岡林さんについてのことと移住についての二面からお話を聞かせていただいた。色んな場所を旅やコンサートで訪れた結果、現在高知県のいの町に住んでいるのも何か感慨深いものがあるなぁと感じた。インタビューの中で「この集落の人が頼りにしてくれるというか。自分たちがやっていることを応援しくれる人たちがいるので。ここでもっと恩返しをすること、やりがいがあること、そういうことがいっぱいあるから、それをやっていきたいという気持ちはすごくあります」という言葉にこの地域の魅力が詰まっているような気がした。ぜひ移住を検討している方は、思い切って飛び込んでみてほしい。